splatoonの環境の変移 part1
splatoon2が発表され、splatoon1が昔のものになろうとしている。そこで保存の意味も込めて、発売~splatoon1末期の環境の移り変わりを書きなぐっていこうと思う。
自分から見た環境なので、多少の偏見はお許しください。
◯試射会(5/9・5/10)
【ルール】ナワバリバトル
【ステージ】ハコフグ倉庫・シオノメ油田
【使用可能武器】
【流行武器】まず初めにコロコロしてるだけで綺麗に濡れて、接触すれば敵を倒せるスプラローラーが大流行。TPS慣れしていない人がほとんどで、チャージャーはもちろんスプラシューターをしっかり敵に当てることが出来る人も稀であったため、若葉シューターが次点で多かった。
【戦略】どこを塗ると勝ちに貢献しやすいかの情報すら全くなく、自分含め油田の南を取り合ってる人達がとても多かった。ステージ構造も全く把握しておらず、研究員が油田のエレベーター隣のパイプを塗って上がっていたときに大きな衝撃を受けていた。また、ローラーは若葉シューターをさしおいて「塗れるけどそこそこのシューター相手にはキルが取れない武器」という立ち位置になっていた。
【イベント】試射会が大盛況で、3回目の時に大規模な鯖落ちをした。チュートリアルの試し撃ち場を塗りまくって暇潰ししてたが、何故かとても楽しかった。後日アンコールという形で埋め合わせがあった。
◯発売(5/28)~エリア解禁前(6/2)
【ルール】ナワバリバトル
【ステージ】デカライン(旧)・ハコフグ・油田・アロワナ・Bバス
【使用可能武器】
【流行武器】試射会の流れそのままにローラーが大流行。ただしコロコロしてるだけではシューターにカモられることに気づき始める、バシャバシャし始めるローラーが出てくる(研究員の動画もかなり影響していたと思う)。他には塗りポイントがリザルト画面に表示されるせいか、とにかく塗れるということで金モデラーが一気に増えた。最初で最後の全盛期である。
【戦略】どこを塗れば勝利に繋がるかを理解し始める。油田の南に行くなというツイートを何回も何回も何回も見た。イカの操作に慣れてきて、インク回復しながらイカ状態で移動や、障害物を乗り越えての攻撃等が出来るようになってくる。
◯エリア解禁(6/2)~ヤグラ解禁(7/2)
【ルール】+ガチエリア
【ステージ】+ホッケ埠頭・ネギトロ鉱山
【使用可能武器】
【武器環境】当時のガチエリアの武器はとても扱いにくい一部の武器(スクイックリン等)を除いて大体いたが、そのなかでも頭ひとつ抜けて多かったのはロラコラだろう。コロコロしていた人達がバシャバシャするようになり始めて手がつけられなくなった。
当時のロラコラの特徴をあげていくと
- 今の50ダメの部分でも即死
- イカニン/ステジャンの速度低下がメイン1個程度で打ち消せる
- 大王イカをほとんど弾けない
- 大王イカの終わり際の硬直なし
とかいう化け物武器であった。
イカニンジャで見えないところから突っ込んできてかすっただけで即死、しかも大王持ちで終わり際も狩れない。どうしろっていうんだ。
また、ラグに関する調整が今よりも甘く、10秒以上前のローラーにひかれるということがあった(別名ココア神拳)
【ギア環境】どいつもこいつもイカニンジャとステルスジャンプをつけていた。うまい一部の人達は安全靴の強さに気づき採用していたらしい。
【戦略】当時はプラベも無くカンストも比較的簡単だったので、何の武器が強い弱いの議論はほとんど目に入らなかった。
- チャーは斜線が見えるから弱い
- シールドは設置時間が長くて弱い
- トルネードはエリアを取れるから強い
みたいなのは見たことある。まぁ今考えると信じられない。
エリアは固め・打開の概念がほとんどなく、ただやみくもに一人一人突っ込んでいく試合が多かった。ゲームの性質上こうなると固め側が有利なので逆転の全く起こらない試合も多かった。打開・固めにいち早く気づいていたプレイヤーが勝ちやすい環境であったと言える。
【イベント】第1回フェスのごはんvsパンが行われた。しかし基本的チーム同士で行うためか人数差マッチングが存在し、1vs4でボコボコにするとかあった。酷い
◯ヤグラ解禁(7/2)~大型アプデ前(8/6)
【ルール】+ガチヤグラ
【ステージ】+タチウオ・モンガラ
【使用可能武器】
【バランス調整】イカニンジャ、ステルスジャンプ、安全靴が弱体化され今の性能になった。大王イカが弾かれやすくなり、トルネは撃った場所の塗りが均一になるように調整された。
【流行武器】ヤグラはブラスターが強いという予想通りブラスターが強かった。この当時のブラスターは直撃ではなく攻撃積み下で爆風中央に当てても一撃だったため、今よりも理不尽な殺され方をした。他に強かった要素が大王イカで、相対的に弾きやすくなったとはいえ今に比べると弾きにくいので、大王だけで10カウント以上も稼げることがあった。
そしてこの辺から動画投稿者の影響が環境に出始めるようになる。今回の場合はスシコラが爆発的に増えていった。増えたスシコラだが、この当時は今よりも性能が高く基本ダメ36.0で、スパショの起動が今より0.4秒ほど早く0.5秒程度であった。特にスパショの性能はえげつなく、ダイナモの振りを見てからスパショを当てるとかいうことが出来た。
【ギア環境】イカニンジャ・ステルスジャンプが目に見えて採用されなくなった。変わりとして安全靴・マーキングガードが流行し始めた。
【戦略】ガチマッチにカンストとそれに近しい人が飽和していたため、大きな戦略変化というものはなかったように記憶している。その変わりとしてこの時期に小技の基本テクニックが発達していった。
等が広まっていく。
【イベント】デカラインが工事するとかいって少しの間閉鎖になった。
このときはアロワナの網やエリア横の窪みが無かったり、タチウオのエリア下のスペースがほとんど無かったりと、今考えると欠陥だらけなステージが多数存在した。デカラインもその一種で、当時の固め打開の概念があいまいな世界ですら固めきりが容易に出来た。
今回はここまで
次回は大型アプデから